『たまがわ』から始まった<日本の川>シリーズも8冊目です。今回は土偶風の神さまと蝦夷(エミシ)の男の子コンビが、雲の上から川の流れる様子を見物しますが、まるで鳥の目で見ているように描いています。

村松昭/作
偕成社
2022年12月、1800円+税
北上川の源泉は中々立派に整えられているようで、ハイキングで訪ねてみたいです。最初のページは、その近くのツツジ゙咲く高原で神様と男の子が相談中です。次のページでは変わった視界から見渡します。山々の間に谷川や道、鉄道があり、その岩手銀河鉄道は絵の中で、本当に空に向かいます。さらに進むと川幅が広がり、町が増え始め、縄文時代の遺跡も多く、暮らしやすい所のようです。トンネルばかりの東北新幹線も見えてきました。見開きごとに小さな全体図があるので、ここは全体ではどこを指すのか確かめることができます。歴史や伝説、有名な人の紹介がちりばめられ、鳥などの動物もあちこちに見られます。
渋民村では歌人の石川啄木と、北上川や岩手山を詠んだ短歌も載っています。ここで北上川五大ダムのページになります。ダムには洪水を防ぐ、農業用水、発電などの役割があります。北上川がかつては、鉱山からの廃水で死の川だったことの説明と廃水処理施設の図があります。廃水処理はこれからも終わらないといいます。同じ様なことは各地の川でも見られるでしょう。
大きな街盛岡にやってきました。川が運んだ砂や土が積もってできた土地に、たくさんの人が住みつきました。お城の跡が公園になっています。秋田新幹線、東北本線、田沢湖線、山田線などが盛岡からあちこちに向かっています。川幅はずいぶん広くなりました。隣町の矢巾町、紫波町では、右岸に広く扇状地がひろがります。奥羽山脈からの土砂がたまり、下流の胆沢扇状地は日本最大だそうです。
花巻で、イギリス海岸に立っているのは宮澤賢治さんでしょうか? 作品の生まれた北上川の自然を見開きページに描きます。左岸の北上山地は高原が多くなだらかな山が続いていて、右岸の奥羽山脈とは違っているようです。また広い川なので、江戸時代はたくさんの船が行き来して、米を江戸、大阪に運んだそうです。
水沢から奥州市にやってくると、用水路や円筒分水工などの絵もみられ、土木技術が進んでいることがわかります。次に進むと「にほんいちながいてつどうのはし」と書かれた所の周りに3つの遊水地があります。洪水の時に水を貯め、普段は水田になっています。衣川のそばに中尊寺が見えます。近づいてみると、奥州平泉は大変豪華な施設です。この本でも、トキの群れが飛び交う極楽浄土風に描いています。死者への弔いのために作られたということでした。
この先は山が迫ってきます。大雨でつまってしまい洪水にもなります。遊水地や堰の工夫をしています。ここを抜けると宮城県、また水田が広がり、芭蕉も旅をしています。画面を探してみましょう。32ページでは大工事をして、北上川の流れを分けています。ここで近づいて次の見開きページで詳しく見ていきます。水門と堰の工夫で川の水量を調整しています。閘門という船の行き来のための施設もあり、河川歴史公園として整備されています。江戸時代に伊達政宗に仕えた川村孫兵衛が、川の付け替え工事、石巻港の整備を行ったと紹介されています。北上川は2つに分かれ、二つの河口を持っていたのです。
旧北上川河口上空からは整備された町や港が見えています。港のそばの小高い所が日和山。2011年の津波の時たくさんの人がここに避難しました。そばの小学校は震災遺構となっています。もう一つの河口は追波湾にあります。石巻の河口とは違って、山が近く港も大きくはありません。ここに津波で74人の子どもが亡くなった大川小学校がありました。各ページに描かれているランドセルを背負った小学生は、この74人を表しているのです。ここも今は震災遺構で、震災伝承館が併設されています。
入り組んだリアス式海岸の様子が上空からよくわかります。「きたかみがわは、ずっと 山に かこまれたまま、うみに 出たね。さすが、みちのくの川」エミシの男の子の感想でした。
(科学読物研究会 鈴木有子)
*科学教育研究協議会(科教協)が編集する月刊誌『理科教室』の2023年11月号から、許可を得て転載したものです。
*出版社によるこの本の紹介記事は、下記のURLからご覧いただけます。
https://www.kaiseisha.co.jp/books/9784034377802































