月のクレーターには、おもに有名な科学者の名前がつけられていますがそのなかに、アサダという名前のものがあることは知っていますか?名前がつけられた麻田剛立は、江戸時代の医者兼天文学者です。
剛立は幼いころから、庭先に竹の棒をたてて太陽の動きを観測し、また同じ時刻の影の長さが、もとにもどるまでを1年かけて記録する、かわった少年でした。20代で、幕府のこよみにはない日食を1年前から予測し当てたことは、若い剛立をいっぺんに有名にしました。なぜなら、日食は、当時の人びとにとって、一番の目を引く天文現象だったからです。
剛立は予測ができたのは観測を続けた結果と考え、その考えは生涯変わりませんでした。そして医者をしながらも、西洋の天文学をとりいれた独自の機器をつかって観測を続け、ついに、優秀な弟子たちが、観測し議論する活気あふれる日本初の天文塾を開いたのです。
そのころ剛立は長年の観測から、太陽や月の動きは、同じ数値を入れた計算では年がたつと合わなくなることに気づいていました。そこで10年をひと区切りとして数値をかえる『消長法』という計算方法を考え、弟子たちによってそれをとりいれた、幕府の新しい暦が作られました。
剛立は、今は正しいと思える研究も、後には間違いだらけのものになると考え、弟子に書斎にある自分の書いた研究書すべてを焼くよう命じて亡くなりました。題名になっているクレーターのスケッチは、初めて、反射式望遠鏡で月を見た感動の文とともに、友人への手紙に残されていたものです。江戸時代に空を見上げ、生涯観測を続けた麻田剛立の伝記、夏休みの感想文におすすめです。
科学読物研究会 津久井 優子